小浦左幸(こうらさこう)屋敷跡

・住所石川県七尾市能登島小浦

小浦左幸屋敷跡
能登島町指定史跡 小浦左幸屋敷跡。
昔、能登島の小浦村には、島八太郎の子孫の1人である、森(小浦)左幸という大金持ちが住んでいました。左幸は土用の虫干しがくると、屋敷にある松の枝すべてに銭を吊るし、眺めて楽しんでいました。それほどの大金持ちでありながら、百姓には重い年貢を貸して苦しめていました。小作の百姓達は、年貢を減らしてくださいと毎度願ったが、決して聞き入れられませんでした。そこである日、百姓達はここから逃げて越後へ行こうと決めたのです。村人総出で越後に逃れた後、残された左幸も「小浦の左幸も1人おられん」といい、村人の後を追って越後へ行ったそうです。

他にも、前田利家が石動山を焼き討ちにした際に、石動山で参戦した小浦村人が上杉景勝を頼って越後に落ちのびたとの説、あるいは揚浜式塩田による塩づくりの技術に長けていた村人が、越後の上杉氏に召喚されたとの説などがあります。

現在、屋敷の面影はありませんが、「能登島町指定史跡 小浦左幸屋敷跡」として、直径約1m前後の井戸跡や、整地されたとみられる平坦面、塚状の中世墳墓、五輪塔数基などが遺存されている。現存する五重塔はいずれも完成を成していませんが、復元すれば高さ約90cm前後の完形を保つ五重塔2基も以前所有していました。しかし、昭和46年、新潟県上越市塩屋新田村の「開村350年祭」の折に運ばれ、現在は同町「日野宮神社」境内に安置されています。なお、五重塔の年代は室町時代に比定されています。

■施設の概要

・駐車場なし

■アクセス

緑の矢印の位置となります。


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